suzuken-w’s diary

勉強の記録です。

ICPC Asia Pacific Championship 2024 を終えて

お久しぶりです。色々落ち着いたので一度記事に起こそうと思ったのと、また日々の勉強をメモしたいと思い日記を再開しました。
本記事では学生時代の競技プログラミングについて振り返りたいと思います。
(書き終えてからの感想なのですが、終盤辺りで日記を書くモチベが失速しています。流石に集大成てのもあるので、定期的に構成して最終的にはいい感じの記事を目指します。)

競技プログラミングについて

きっかけ

大学1年生の4月で、同じライングループにいたHyado君をきっかけに競プロを始めました。そして彼をきっかけに同期や同大学の先輩方が競プロに熱心に取り組んでいること、ICPC WF に出場経験があることを知りました。そのあとどうやって競プロにのめり込んだのか覚えていませんが気づいたら毎日競プロの問題を解いていました。

学部1年

正直ほとんど覚えていません。(6年くらい前らしいので無理もない...) 当時は競プロ練習会が盛んに行われていました。B1練習会とそれに対抗してB2が主催する競プロ練習会があったりなど週に1,2回くらいは開催されていた記憶があります。
木曜の午後は確定で行われていましたがバイトと被っていたのであんまり出れてませんでした。

学部2年

1年の終わりにコロナが始まり、大学が全部オンラインになったり5月スタートになったりと色々大変だった記憶があります。
丁度そのころバイトをやめてニートになり、ひたすらバチャに打ち込む日々を過ごしていました。このバチャに常に参加するバチャ狂人が何人かおり、そういった人たちを中心にバチャslackが作られました。当時のはまりっぷりは異常で1,2週間に50~100問解いたみたいな会話をした記憶があります。(かなり曖昧なので盛られているかも)

この年以降、早稲田の練習会が行われた記憶がないです...。Among Usをやった記憶はあります。

この学年で初めてICPCに出ました。当時はbayashiko, mkmkmkmk ,suzukenの3人でYAKINIKU_LABOというチームで出ました。
普通に問題が難しくて惨敗したことだけ覚えてます。

確かこの年にAtCoder 青になりました。

学部3年

このころからちょいちょい対面がありました。
2年の時ほど競プロに取り組んでいた自覚はないけれど出れるコンテストほとんどに出るくらいには競プロは続いていました。

当時のICPCはbayashiko,m_tsubasa ,suzukenの3人でMSBというチームで出ました。
初めてアジア地区予選を突破した回です。

emtubasa.hateblo.jp

emtubasa.hateblo.jp

確か当時はAOJ/ICPC埋めが盛んで早稲田内でバトルが繰り広げられてました。

2022年のツイートだけど

あとこの年でAtCoder 黄になりました。

伝説のこころ事件もこの年

学部4年

研究室配属が終わって研究が始まる。特別忙しかったわけではないが黄色で停滞していたのもあり、このころからかなりモチベがありませんでした。

ICPC国内予選前まではモチベがあったのでなんとか国内予選は突破できました。

emtubasa.hateblo.jp

アジア地区予選が12月終わりだったのもあり、宿でひたすら卒論書いてました。

この年にA〇Qにはまってしまったことは今でも後悔しております...

アジア地区予選が終わった後は原神にもハマりひたすらかっつと原神をしていました。(興味ある方はかっつブログを参照)

修士1年

もうこの年からは競プロやっているとは言えないくらい取り組んでおりませんでした。
終わり

この年からweb技術に興味を持っていくつかインターンを回っていて競プロよりもそちらに力をいれていました。

ICPCは国内予選も突破でき、アジアでもそこそこ良い結果に終わりました。(国内予選は自分1mmも活躍していなくてチームメンバーありがとう...状態でした)
ここで競プロ人生一区切りかと思いきやAsia Pacific Championship 2024に進出ができ、競プロで初海外進出。
Playoffでは衰えと上位の圧倒的な強さを直接感じることができ、かなり満足でした。

今後について

競プロは人生の中で最も力を入れて頑張れたものであり、僕にとってとても貴重な経験でした。
今後は競プロばかりの生活からはいったん離れてwebアプリケーションの勉強と研究に力を入れる予定です。たまにコンテスト出るとは思いますが当分はのんびり競プロやる予定でいます。